2003-05-21 第156回国会 衆議院 政治倫理の確立及び公職選挙法改正に関する特別委員会 第3号
日本協同党、得票率三・二%、当選人比率三・〇%。 次に、一九五八年から一九七二年までの六回の総選挙の平均でございますけれども、自由民主党、得票率五二・二%、当選人比率五九・五%。済みません、続けて読ませてもらいます。先に読むのが得票率、後に読むのが当選人比率にさせていただきます。日本社会党、二六・八%、二八・一%。公明党、八・三%、六・九%。民社党、七・七%、五・〇%。
日本協同党、得票率三・二%、当選人比率三・〇%。 次に、一九五八年から一九七二年までの六回の総選挙の平均でございますけれども、自由民主党、得票率五二・二%、当選人比率五九・五%。済みません、続けて読ませてもらいます。先に読むのが得票率、後に読むのが当選人比率にさせていただきます。日本社会党、二六・八%、二八・一%。公明党、八・三%、六・九%。民社党、七・七%、五・〇%。
(拍手) 私は、終戦後、敗戦混乱の日本の復興をいかにすべきかを考え、郷土の先輩、故山本実彦先生等とともに日本協同党を結成し、昭和二十一年四月、連合軍の占領下において初めて行われた総選挙で当選し、本院の議席を得ました。 翼賛選挙以来、私の政治家としての生活は三十年余になります。この間、わが国も幾多の変遷を経、多難な道をたどって、今日の平和、繁栄を見るに至りました。
昭和二十一年四月十日の第二十二回の総選挙の分野におきましては、当時の定員酒四百六十四でありまして、日本自由兄百四十、日本進歩党九十四、日本社会党九十二、日本協同党十四、日本共産党五、諸派が三十八でありまして、そのほかに無所属八十一、計四百六十四名であります。
昭和二十一年四月、君は日本の戦後経営と自立のために深い関心と断固たる決意を抱いて日本協同党より推され、みごと当選の栄冠を得られました。さらに二十四年一月の総選挙にも、日本協同党の後身たる農民新党より立つて再び本院に議席を占め、もつて衆望のおもむくところを示されたのでありました。